小島瑠璃子さんの夫として話題の実業家である北村功太さん。
実は北村功太さんの祖父は人間国宝の北村治さんです。実家は能楽囃子の名家であると言われています。
北村功太さんと実家には不仲説がありますが、一体北村功太さんと実家はどんな関係なのでしょうか。
この記事では、小島瑠璃子さんの夫である北村功太さんの祖父や実家について紹介していきたいと思います。
北村功太の実家は能楽囃子の名家だった
小島瑠璃子さんの夫である北村功太さんの実家は安土桃山時代から続く能楽囃子の名家です。
北村功太さんが、とても歴史のある名家出身ということに驚きですね。
能楽囃子と言われてもピンとこない方も多いと思いますが、能楽囃子とは能の音楽を担当する器楽演奏のことです。
北村功太さんの実家である北村家は、能楽囃子の中でも特に小鼓方の名門として知られています。
北村家の初代は、江戸時代初期に活躍した北村弥五郎とされており、紀州徳川家や尾張徳川家など、有力な大名家にも招かれて演奏を披露していたそうです。
そんな能楽囃子の名家だった北村功太さんですが、実家とは不仲だったのではという噂が出ています。
北村功太の実家
- 北村家の初代は北村弥五郎
- 安土桃山時代から続く能楽囃子の名家
- 小鼓方の名門として知られる
- 能楽の普及にも尽力し、多くの門弟を育成
- 現代でも北村家は能楽会を代表する存在である
北村功太が能楽囃子の名家である実家と不仲と言われる理由は?
小島瑠璃子さんの夫である北村功太さんは、名家である実家とは不仲だったと言われています。
その理由としては…
- 実家に窮屈さを感じていた
- 北村家の跡継ぎ候補だったが辞退した
- 小島瑠璃子さんと結婚後は小島姓に改姓した
それでは詳しく深堀したいと思います。
実家に窮屈さを感じていた
北村功太さんは、幼少期から伝統芸能の家系に育ち窮屈さを感じていたようです。
大学2年の在学中から株式会社エブリーに入社し、webマーケターとして活躍するなど、大学卒業後は実家を出て生計を立てる準備をしていたのかもしれません。
在学中に入社するとは行動派ですね。
その後2020年10月に株式会社「Habitat」を創業し、実家の能楽囃子とは別の道を歩んでいます。
北村家の跡継ぎ候補だったが辞退した
能楽囃子の名家だった北村家の本家には男子が生まれませんでした。
そのため、分家の男子である北村功太さんが跡継ぎ候補になりました。
しかし北村功太さんは跡を継がず、宗家の娘が継いでいます。
このことからも、北村功太さんが実家に対して距離を置いていることが分かります。
小島瑠璃子さんと結婚後は小島姓に改姓した
北村功太さんは小島瑠璃子さんと結婚すると、小島姓の改姓しています。
北村という実家の姓を捨てて、新たな人生を歩みたかったのかもしれません。
北村功太の祖父は人間国宝の北村治さん
北村功太さんの祖父は人間国宝の北村治さんです。
北村治(きたむら おさむ)さんは、日本の人間国宝であり、伝統的な日本舞踊の大家です。日本舞踊の振付師としても知られており、多くの舞台作品を手掛けています。北村治さんの作品は、日本の伝統文化を次世代に伝えるために重要な役割を果たしました。
北村治さんの父は名人と謳われた北村一郎さんです。
北村一郎さんは明治から昭和にかけて活躍し、小鼓の技を芸術の域にまで高めたことで知られています。
北村功太さんの祖父である北村治さんは、2012年7月31日に多臓器不全のため75歳で亡くなっています。
北村治さんの略歴☟
- 1936年 北村家5代目として東京に生まれる
- 1947年 「吉野天人」で初舞台
- 1987年 観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞
- 1991年~1993年 能楽協会理事を務める
- 2003年 重要無形文化財保持者(人間国宝)
- 2006年 旭日小綬章を受章
- 2012年7月31日 多臓器不全のため75歳で亡くなる
北村功太の実家はどこ?
北村功太さんの実家は判明しておりません。
しかし、祖父の北村治さんの出身地が東京なので、実家も東京にある可能性があります。
まとめ
この記事では、小島瑠璃子さんの夫である北村功太さんの祖父や実家についてまとめました。
北村功太さんの実家は安土から続く能楽囃子の名家で、祖父は人間国宝の北村治さん。
しかし北村功太さんは、以下の理由から実家とは疎遠のようでした。
- 実家に窮屈さを感じていた
- 北村家の跡継ぎ候補だったが辞退した
- 小島瑠璃子さんと結婚後は小島姓に改姓した
名家に生まれましたが本家ではなく分家ということもあり、このような決断に至った可能性も考えられますね。
また新たな情報が入りましたら追記いたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。